現在の私は、〝脱ツインレイ概念〟および〝反ツインレイ市場〟の立場をとっています。【ツインレイを知るための創作作品】シリーズは、四年ほど前に記したものです(2024年3月現在)。「ツインレイ」という語とそれをめぐる喧騒に疑念を抱く方たちに、ぜひ読んでいただきたいと思います。その頃よりも考えが変化している部分もありますが、「ツインレイ」の根幹には〝真の自己実現〟がある(そして、いずれその過程には、前世・過去世やカルマの問題が立ちはだかる)というスタンスは変わっていないと思います
※記事によっては、現在の考えとして補足の説明を加えたいと思います。
(前回のつづき)
また以前、藤井聡太さんの名前を出しましたが、米津玄師さんなどもまさに、科学技術で改造されたわけでなく(笑)、新時代の能力の持ち主だと私は思います。そして、これから先どんどんそんな才能が生まれてくる気がしています。
そうした時に、(旧時代的な)組織社会における私のような非正規労働者、あるいは、中核にあって組織を支える、“団塊ジュニア” 世代には、まだそれなりに人生は残されているのに、旧世代は勝ち抜け、新世代の感覚や価値観に圧倒されるという間(はざま)にあって、困難な状況を感ぜずにはいられません。
私にSPECはあるのだろうか、ないとしたら、真正のSPECホルダーである当麻(実は当麻は天才的頭脳だけではなくSPECを持っています)を支える瀬文、野々村のような位置でいられるのかを考えてしまうのです。
――居場所ないじゃん!
『SPEC』はお笑い要素も満載なドラマなのですが、そこに隠された、実際は深くて怖ろしくもあるテーマを持った作品であったことに気づいてしまったわけです。
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