妹からすすめられて最近読んだ、週刊少年ジャンププラスで連載中の作品『スケルトンダブル』が、大変興味深い内容でした。絵柄についての第一印象は、〝個性的なかわいい女性を描く作者さんだな〟でしたが、作品の核となる異形の生命体(?)類の形状やそれらが活動する描写に迫力があります。
作品の題名ともなっている「透明人間(スケルトン)」の概念が難解で、一、二度読んだだけでは理解しきれないのですが、そうしたテーマを漫画で自在に表現する新世代の才能には、驚かされるばかりです。
主人公の荒川ヨドミは高校生で、八年前に父親が新宿の繁華街で奇怪な死を遂げています。ある日、家に届けられた謎の荷物を開封して「透明人間(スケルトン)」となったヨドミは、父親の死の真相に迫っていきます。超越的な存在へと自らが変化したか、あるいは、異常な事態に対峙するかのいずれかである主要な登場人物は誰一人、同じ方向を向いていません。作者がしっかりとそれを意図しているか否かはわからないのですが、現代人への強いメッセージ性を帯びている気がしています。
そして、肝心の「透明人間(スケルトン)」が何であるのかは、特別対策室という組織で透明人間化している金床という女性が、ヨドミに持論を語るシーンがあります。「天狗の隠れ蓑」や「デュゲスの指輪」を例にとり、「多くの物語の中で神性と不可視性は切り離せない存在」である点を指摘した上で、「透明人間(スケルトン)」はその「大元(おおもと)」だとして、次のように述べました。
この能力の「本来の持ち主」は数多くの伝承の興りと繋がっていて 見えるヒトが殆どいなかったからこそ その実像と行動は民話・伝承という歪んだ形で今日まで伝わっている
「本来の持ち主」の形状(骨)と権能(血)の極一部を人類が利用するためのシステム その現在の歪んだ形の呼び名が透明人間(スケルトン)
「透明人間(スケルトン)」には生体的な適性がないとなれないのですが、彼女の熱量に押され気味のヨドミに対して金床は、「生きててこれしか好きになれなかった」と伝えます。確かに、作品で描かれる彼女の言動を見た限りは、無気力か暴力で社会から逸脱するギリギリのラインを生きてきたのではないかと想像されます(彼女の遠い目が印象的です)。
一方、作品世界内では〝敵方〟にあたる集団の中に、彼女と同じ属性の人間がいるのですが、それぞれの生きる意味は、その個性によって分岐するのではないかと見受けられました(透明人間(スケルトン)の「力」が「本来の持ち主の身体構造」に依拠する事実と似る?)。
彼・彼女は、かなり極端な人生の使命や課題のある人間の例ではないかと考えます(他にも、金床以上にその意味がわからないで、ヨドミの視点を借りて、読者もまた、その理解と受容に苦しむ人間が登場します)。
そうした反面で、「透明人間(スケルトン)」の存在などまったく知らなくとも、父親を亡くして以後何を考えているのかわからないヨドミに〝寄り添う〟友人たちや学校の教員の存在も、作品の中では際立っています。ーーヨドミが足を踏み入れた世界とは一線を画しながらも、彼らには彼らの、生きる使命と課題があり、ヨドミの人生と自らの人生との交錯する地点のある人間です。
もぬけの殻だと周囲は見ていたヨドミが、誰も知らないところで着実に〝自らの道〟を進んでいたことがわかる場面があります。そのヨドミを〝窮地〟から救った教員は、ヨドミが考えていることを察知していました。現代社会は〝黙って見守る〟〝観察する〟〝変化(異変)に気付く〟といった能力を軽視し、その力が社会全体でも個人でも落ちてしまっていることを思い知らされます。
本来、他者とは決して交わることができない人間という存在の厳しさを描きつつも、偶然にも同じ時空間に居合わすことになった人間同士のあり方を示唆する点でも、新時代を開く秀作であるという印象を受けました。
あと数回で最終回と知り、もっと長く〝語れる〟テーマなのにもったいない……と思います。もしかしたら、まだ時代が追いついてないのかもということを感じてもいます。
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