一つ目は、電車の中での出来事です。高齢で足の悪い母親に対して席を譲ってくれたのが、いずれもややハンディキャップのある人ではなかったかということです。足腰という面でのハンディキャップでなさそうだったことと、母親の方が高齢だからという理由で譲ってくださったのだと思うのですが、少し戸惑いも覚えました。母親は明確に〝弱者〟なのでありがたく厚意を受けましたが、私は〝弱者〟という意味を取り違えているのではないかとも、これを記しながら考えています。
前の晩、YouTubeで面白い動画を視聴していました。物理的に同じ世界にいても、波動が違うと実際は違う世界にいるのと同じであるとか、電車の中ではほとんどの人がスマートフォンを見ていて、ひとりひとりはまったく違う現実を生きているようなものだということを、そのまま体験したかのような状況でした。
二つ目は、昨日に続いて、メルマガの登録解除者があり、やはり占いの副業を始めた初期の頃に応援をしてくださっていた方でした。副業を始めるきっかけとなった自己啓発セミナーで、自主的にSNSのコミュニティを立ち上げたりしていた方だったのですが、数年前にコミュニティを閉鎖し、その後は〝寡黙〟になっていることを感じていました。
また、最初の職場の同僚だった人から、中国地方へと自ら移り住んで生活しているということを記した絵葉書が届きました。この方も、少しずつですが、これまでの人間関係からだんだんと距離を置いていたことを感じていました。一方で、かつての職場に残る知り合い達は、不条理さとストレスの増す仕事に日々追われ、辞めたいということを常に口にしています。
三つめは、こういうのが欲しかったという以上の素敵な服を見つけたことです。そして、帰宅してからクローゼットを見て、ほぼ着倒して傷んでいる服を断捨離することにしました。
帰宅する前に普段はあまり行かない場所に立ち寄ったところ、服やおもちゃなどをリユースするという大きな回収箱に気づきました。こちらも帰宅してネットで調べてみたところ、九州地方のある都市を本社とする企業でした。ファストファッションに代表されるような、服(や物)を使い捨てるという付き合い方から、気に入った良い服(や物)を長く使用するあり方への転換が語られていました。
ーー私も同じように考えています。ただ、次から次へと新しい物を手に入れる(壊れても直さない)ということが当たり前であり、豊かさであるという時代を生きてきて、何十年も経って、様々な意味で苦しい思いをしているわけです(このブログの「断捨離」をテーマにした記事の中で、考えや思いを述べています)。そうした反省や疑問を形にして取り組んでいる若い方たちがいるのだなという思いを新たにしました。
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