私は長年、中学・高等学校の教員をしていました。私学の教員は、よほどのことがなければ正規雇用となった学校で勤め続けて定年を迎えます(公立校の試験を受けて移るという方もいらっしゃいますが、私は私学志向でした)。創立の理念のもと利益を追求する点では、終身雇用の企業と変わらないところがあります。それゆえ、建学の精神と所属する教職員の雰囲気が合って採用となった後は、労働時間や給与、人間関係の面で妥協ができるラインを保てていれば、別の学校に移る必要はありませんでした。
最終的には学校の現場を離れることになりましたが、様々理由があります。子供の数が多かった団塊ジュニア世代かつ氷河期世代だったことは、就職活動のしくじりや自己実現的なヴィジョンを思い描くことを最初から諦めていたという点で、大きな障害となっていたのは事実です。
氷河期世代問題2024①ー私の場合、あなたの場合ーhttps://zarara1111.blogspot.com/2024/04/youtube-1970198219932005-20244254-2021.html
(その他、自分の場合は父親との関係性などもあるのですが、こちらのブログも始めたばかりですので、いずれはお話ししていくことになると思います)。
ただ、根本的な理由は、決して個人的な問題に帰さなかったことを最近は感じています。私が仕事がきついと感じる一番の要因は、学校の理念的なものと自分の労働奉仕とが等価ではないと強く感じることにありました。さらには、年々、私学ならではの個性や特色というものが、自分の勤めていた学校だけではなく消えていきました(正直、違いは通学時間だけでどこへ行っても同じ)。
極めつけは、最初に勤めていた学校で尊敬していた先生が退職されてお話を伺った際に、〝最近は教員になりたいと思って就職してくる奴がいない〟と漏らしたことです。これをお読みになっている皆さんは〝???〟かもしれませんが、何度か職場を変えてキャリアを重ねる中で、私にも思いあたるところがある事実でした。
先日、何年かぶりに会った友人がいました。彼女のお子さんたちは皆〝個性的な子〟で、正直、学校では相当に指導が難しいだろうと思いました。しかし、たとえそうだとしても、それに対する学校の対応があまりにもひどく、学校組織全体と教員個人の資質の低下を強く感じさせました。むしろ子どもたちの方が、進学による学習機会の確保のために学校に通わなければならないという制度が厳然として存在することをよく理解していて、学校や教員と適度な距離感を保つ強さと賢さがありました。
彼らのお母さんである友人は、最初は彼らを枠にはめようとしたようですが(幸か不幸か、偏差値やお受験のブランドを競うような地域だそうです……)、〝楽しまなきゃ〟と考えを改めたそうです。苦労は多そうですが、彼女の生命は輝いていました。彼女のように〝新しい時代を生きる子どもたち〟を授かって、彼らの資質と能力を伸ばしてあげる役割を持つお母さんたちは増えていると思います(私の副業の占いの顧客や講座の生徒さん方にも多いです)。
そうです、私が学校現場を去った最大の理由は、現状の学校のシステムが子どもたちの実情には合わないという切実な思いでした(辞めた当時はそれほどこのことには自覚的ではありませんでしたが、今は間違いないです)。〝個性的な子〟には私もたくさんの縁が生じました。しかし、大人数を一括で指導する学校教育では、彼らを叱りつけたり、押さえつけたりしなければなりませんでした。
〝彼らが個別、せめて数人であれば、こんなに不本意で嫌な思いをして(させて)教えることなんてないのに……〟
現在、先の彼女とは別の友人のお子さんに対して国語や古文・漢文を個別に教えたりする需要があります。また、お母さん方に占いや新しい世界を生きる智慧についての講座や読書会を提供することよって、間接的に子どもたちの教育に貢献していると思っています。
国語や古文・漢文の個別指導(大人も可)、占いや新しい世界を生きる智慧についての講座や読書会などに興味のある方は下記リンクの「お問い合わせ」よりご連絡ください。
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