2024年6月28日金曜日

師も弟子もすごい

           


 かつて若い時期に十年間くらい、合気道に取り組んでいた時期がありました。運動神経がブチ切れの私がなんでそんなものに興味を持ったのかは謎でしたが、ここへきて創始者・植芝盛平のエピソードなどをスピリチュアル界隈の本などで見るようになって、〝そういうことだったのか〟と妙に納得していました。

 また、現在、本や情報の断捨離を一段と進めている中で、YouTubeの「後で見る」に入れたままの動画を少しずつ視聴して削除したりもしています。今日は、合気道の動画が一つ入っていたので、それを見ました。私は動画を見た際にはコメント欄もチェックするのですが、たくさんのコメントが書き込まれていました。YouTubeのコメントは、書き込んだ順番ではなくコメントへの返信等がたくさんついて、影響度が高いとみなされたものが上位に来るようですが、考えさせられるものが多かったです。

この人の名言で一番好きなのは「絶対に相手に負けない技はなんですか?」と聞かれて「仲良くなりなさい」っていうやつ

塩田師範にとって最強の護身とは「自分を殺しに来た相手と友達になる事」と仰ってました これだけ攻撃的な合気を極めた人だからこその説得力がありますね~

 最上位のコメントとその返信の一つ目を引用しましたが、これには唸らされました(興味のある方は、ぜひ他のコメントもご覧になってみください)。

 そして、この方の師匠はどなたなのだろうと調べたところ、やはり植芝盛平でした。Wikipediaを参照したのですが、こんな記述が目に留まりました。

塩田は合気道の理合について、師・植芝が宗教用語や古語を用いた難解・抽象的な説明を行っていたのに対して、「中心力」「スピード・タイミング」と言った用語を使った平易な解説を心がけていた。また短期間で合気道の基本的な動きを身に付けられるよう、高弟である井上強一と共に、6種の基本動作と構えを編纂・制定した。

塩田剛三 – Wikipedia

 そうなんですよね。私もかつて植芝盛平の『武産合氣(たけむすあいき)』という本を持っていましたが、わけがわからなくて、かなり早めの段階の断捨離で古本屋に出してしまいました。
 塩田剛三はおそらく、植芝盛平が確立した合気道の優れた〝翻訳者〟であったのだと思われました。もちろん、このWikipediaの塩田の説明には、彼が超人的な訓練(身体のトレーニング)を行った逸話なども紹介されているので、彼は〝翻訳者〟である以前に技の優れた実践者かつ理解者であったはずです。その前提があって、合気道は塩田による深い探究と解釈の過程を経て、この動画にあるように海外にまで広まったのではないかと想像しました(私は合気道の普及に関しては詳しくないので、彼以外の功績のある弟子の方々も、きっとそうであったはずだということを断っておきます)。

 何かの技術や教えが師から弟子へという過程を経る中で、劣化するとか別物になるといった批判は、古今東西で起きていることです。しかしながら、創始者や開祖が生きていても弟子たち次第でそれは起きますし、その創始者や開祖自身の何らかの変化によって、自分自身で自ら打ち立てたものに変更を加えていくことも事実としてあります。

 私は、「仲良くなりなさい」「自分を殺しに来た相手と友達になる事」と発言されたという塩田剛三が、植芝盛平の合気道を少なくとも変質かつ劣化させたとは思えません。これが師の植芝盛平の発言や考えだったかは置いておくとして、この世で固有の身体と環境を持って生まれた以上は、師から受け継いだものがそれを通して違う輝きを放つものとなることは否定されないのではないかと、ユーモアをたたえて凛としてたたずむ塩田剛三の動画を見て考えるのでした。

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