2024年6月21日金曜日

小さな悩み毎年

           


 子どもの頃は誕生日が楽しみでしたが、ある時期から周囲には黙っています。SNSの類でも生年月日は公開にならないようにしています。あまり親しくない人からお祝いのメッセージが届いても、返信する時間と労力に疑問しか感じないからです。年を取ったからという理由ではなく、特別なことでもなんでもないと思うようになったからです。

 そんな思いがあるので、三年前に別にいいだろうと思って予定を入れて、詳しくは書きませんが、おそろしく体調を崩しました。夜にオンラインで鑑定をしていたのですが、脂汗が出て苦しくなり、お客様にお詫びして早めに切り上げて寝込んでしまうくらいでした。翌日は食事もとれませんでした。人に頼まれてのことをしてだったので、翌年は絶対に人と会う予定は入れまいと誓いました。

 独り心静かに過ごしたいと思ったのに、昨年も不本意に終わりました。昨年は、日中に仕事があったとはいえ、夜の自由な時間にオンラインの集まりを入れてしまいました。定期的に実施していることだったので、先方が日付をかなりピンポイントで指定してきて断れませんでした。とはいえ、誕生日だから避けてほしいと言えば逆に、みんなでわいわいしようというのがこれまでもあったので、やはり向こうの希望をのんでしまいました。

 今年は幸いにも一日自分だけの時間が過ごせそうでした。しかし、またしても人から頼みごとをされてしまいました。しかも、自分にとってはかなり断りづらい内容です。要件自体は、一日のうち1、2時間程度のものです。それでも、悩んでしまいます。二年前の出来事がよほどこたえていると自分でも感じました。

 長いこと、誕生日その他、記念日みたいな日はひとりがいいという発想にはなれませんでした。世間の人並みに大事な人たちがいて一緒に過ごすといったことが、〝満たされる〟条件だと信じ込んでいました。でも、私はそうではなかったのです。1、2時間程度の頼みごとなら聞いてあげればいいじゃんと思う方は多いでしょうし、私もそう思います。それでも、どうしようと悩む自分がいるのは、最近、いわゆる常識と非常識、一般論と持論みたいなものの狭間で悩むことが増えているからだと思います。

 誕生日で、別に着飾ってどこかに誰か特別な場所に行くとかではなく、ただ家でぼんやり過ごしたいということでは、断る理由に値しないと自分で思ってしまっているのです。一方で、最初に戻ると、誕生日だからって、特にこだわる必要はないでしょうという考え方もできます。二年前の人や要件とはまったく違うのですし……。

 いかにこの結論をくだし、当日はいかなる一日を過ごしたのか、日付が特定されないように注意しつつ、こちらで記すかもしれません。

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