占いの学びのひとつの試みとして、読書会という形で占星術のテキストを単に読むということを行っています。参加者は本当に少ないです。決してお金儲けで取り組んでいるわけではありませんので、それで一向にかまいません。
昨日の会も充実したものとなりましたが、言語を専門の一つにしている自分にとって、大変興味深い気づきがありました。言葉を知ることによって、認識が拡大するのではないかというものです。
子どもの頃の私たちは、大人になった今よりもずっと多くの現象を見たり聞いたり感じたりしていたのではないかと思われます。しかし、三次元的な様々な制約によって、その一つが言語ではないかと考えるのですが、獲得しえた言語の範囲でしか認識を行えなくなっていくというものです(言葉の役割は切り分けて、取捨することです)。よって、語彙のない現象や存在(主として、視覚や聴覚で認識されない事物)は、私たちの認識からは外れていくことになります。
昨日の会の中で、参加された方の一人が、小さい頃に自分を見ていた〝何か〟が、スピリチュアル的な学びをすすめる中で、ある特定の語彙を与えられるような存在だったのではないかということをおっしゃっていました。ーー私は、なるほどと思ったのです(言語学の講義や書物ではさんざん聞かされたり目にしたりしている言語の一機能だったのかもしれませんが、それらを本当の意味で〝理解〟できることなど、もしかしたらほとんどしていなかったのかもしれない可能性を思いました)。
このブログでは、「人間存在に関する視野の狭さを払拭すること」についてくり返し述べていますが、それには学びによる知識=それを表現する言葉の獲得がセットとしてあるべきなのだということをあらためて確認できました。私自身、「マンデラエフェクト(マンデラ効果)」という言葉を知って、自分の身の回りに起こる不思議で少し怖い出来事に関して得心したことに象徴されています。
視野の狭さに気付かされる〝本物〟に出会う
https://zarara1111.blogspot.com/2024/03/blog-post.html
マンデラエフェクト問題2024①ー私の場合、あなたの場合ー
https://zarara1111.blogspot.com/2024/05/httpszarara1111_30.ht
私が今現在、「岐路」に立っていることはここ数日の記事で触れているのですが、その方向性が見えてきたような気がしています。この世界には、言語ではすくい取ることのできない世界もまた存在するとしても、私たちは個別的な身体を持って日々生活しています。将来はわかりませんが、現状では言語を手放すこともできません。その事実に対して、真剣に向き合ってみたいと思うのです。
人間存在についてこれまでとは違う観点から学ぶことができる、ユング心理学をベースにした占星術の講座を開講しています(個別対応型の講座です)。
https://resast.jp/stores/article/22545/73121
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