このブログでは、前世・過去世と歴史に興味・関心を持つ人たちとの関係性について何度か話をしています。
願望や妄想だと思って当然なのですが……
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上の記事でも記した戦国時代や幕末、あるいは聖徳太子は、関わった人間が多いから興味・関心を持つ人も他の時代に比して多いというのには納得です。ただ、戦国時代や幕末については、恨みや憎しみといった感情がその時代の特定の人物に吸着するような感覚が私にはあります。
かくいう私も、あまりメジャーではない時代に興味があり、それは家系的なものと前世・過去世的なものとが交錯する地点にあるからだというのがわかってきました。
そんな、関わった人が少ない大した時代ではないと思われてきたところに、近年、どういうわけか光が当てられています。そして、私の先祖や前世・過去世の人が直接に関わったであろう人々にも注目が集まっています。主に、「物語」(創作作品)として扱われているのですが、その中でかつての敵味方がデフォルメされて仲良く一緒にいる画面などを見ると、私はとても救われた気持ちになります。ーーもう、恨みも憎しみもないよね、こんな風に描いてもらえて本当によかったね、と思うのです。
また、今の私の先祖のおおもとの一族というのはかなり古い一族です。詳しくはまだわからないところがあるのですが、日本の各地に散らばって生活せざるを得なくなって表舞台から消えていきます。そうした中で、おおもとの地に残っている一族は、周囲にはすべてを黙して内々の継承を続けているようです。
昭和の時代の継承者が存命中に語ったことを記録した本を読んだことがあるのですが、彼らから見れば、私の先祖の一族は出過ぎた真似をしたので衰退してしまったととらえているようでした。まさに、今マスメディアにとりあげられる機会が増えて注目されている時代における、為政者との積極的な関わり合いがあったことで、確かにそういう結果になっています。
しかしながら、私の中に眠るご先祖様たちと前世・過去世の記憶は、そう考えてはいないようなのです。なぜならば、いにしえの世で受けた仕打ちに対する恨みと憎しみで閉ざされたままで終わらず、理想の世を作り上げるためにともに歩んだ人たち(主君)と出会えたことは、決して不幸ではなかったといういくつもの思いが、私の中にあるのに気づくからです。
「理想の世を作り上げる」ことは、信じがたいような急激な時代の変化が起こったことで、かないませんでした。
そのことで、新たな恨みや憎しみを負ってしまったというのは、確かに失敗であり、非難されても仕方ないと思います。しかしながら、不思議な後押しもあり、一族の負の想念が浄化され、新たな役割をもって世の中に出ていく時代が訪れたのだと感じています。
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