何気なく使っている「みじめ」という言葉ですが、この「みじめ」という感情は、なかなかにネガティブなものなのではないかと思いました。そして、私の人生(おそらく前世・過去世)もそんなことのくり返しだったのではないかと最近は想像するのです。
「みじめ」なんて言葉を使ったこともない人もいるのではないのかと思われますが、どうでしょうか。
みじ‐め 【惨】
解説・用例〔名〕(形動)
(「見じ目」の意か)あわれで見るにしのびないこと。まともに見ていられないほど、いたいたしいこと。また、自分がひどく卑小で情なく、屈辱的に感じられること。また、そのさま。
上記は『日本国語大辞典』の引用です。なかなか語義も語源と考えられている意味も深いです。
「みじめ」という言葉を自分の気持ちや状態を表現するのに使った場合には、他者がこのように自分のことを見ているだろうという思いを、自分がそのように引き受けている言葉のようなのです。
要するに、他人が自分のことを「あわれで見るにしのびない」「まともに見ていられないほど、いたいたしい」と思っていると感じられて、自分自身で自分自身のことが「ひどく卑小で情なく、屈辱的に感じられる」ということらしいのです。
私は、他人に対して「みじめ」という言葉を使ったことがほぼなかったことに気づきました。なぜならば、「みじめ」かどうかなど、本人がそう感じているかという問題であって、第三者が判じることではないと思っているからです。同情されたくないという気概を持つ人に対しては、大変失礼な言葉でもあると考えるからです。
よって、他の方はどうなのかはわからないのですが、私自身に関して言えば、「みじめ」とは自分で自分の気持ちを表現するために用いる言葉であるのです。そして、私の人生の大事な局面で、何度となく使ってきた言葉です。
このブログで最近話題にしている〝できない〟という状況を突き付けられた時に「みじめ」だと強く感じます。
できない
https://zarara1111.blogspot.com/2024/08/httpszarara1111_2.html
できない理由
https://zarara1111.blogspot.com/2024/08/blog-post_12.html
「だけ」「しかない」に対する警戒心
https://zarara1111.blogspot.com/2024/08/blog-post_14.html
もっと分析してみると、先ほど電子辞書で類語辞典にに掲載されていた「のけ者にされてみじめな気持ちになる」という用例が、私が「みじめ」を使う状況としてもっともしっくりきました。
そうなのです、私がくり返し味わうネガティブな感情のうち、いまいち自覚がなかったのはこの「みじめ」という感情であり、〝お前は自分たちとは違って劣っている〟というメッセージを受け取った時(それは思い込みの可能性もあるのですが、状況的にそう理解される時)に激しくわき起こる感情でした。
昨晩、長く相談をしているヒーラーさんのブログの記事でまだ読んでいない記事を発見して読みました。その中に、自分自身のものではない感情や思考に縛られているかもしれないという内容がありました。
常にうまくいかないような、阻まれるような感覚で歩んできた人生(サビアン占星術でも暗示されていた正体不明の〝障害〟)の正体を見る思いがするのです。
電子辞書で「みじめ」を引いた際に、英文の慣用表現にこのようなものがありました。
I have led a dog’s life. (私はみじめな生活を送った。)
「直訳すると「犬の人生を送る」となるが、決まり文句」だということです。私の前世・過去世や私の家系の持つネガティブさは、強烈な反骨心の裏に隠された負け犬の「みじめ」さなのかもしれません。ーーそんな思い込みは嫌ですよね。もう、終わりにしたいですし、できる時代が到来しているという思いも私にはあるのです。
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