予備校等に通って受験勉強をした方はもしかしたら覚えがあるかもしれませんが、問題の選択肢の中に「〇〇だけ」とか「〇〇しかない」という表現があって内容を限定している場合は、その選択肢を除外していいという見分け方のコツがありました。
この考え方は、受験勉強以外でも、社会や人生においておおいに応用できる気がしています。つい最近も、能力の高いチャネラーの方がグループセッションを行った際の質問の答えで、同じようなことを話していたことを思い出しました。
その質問というのは、最近とても人柄の良い人たちと知り合いになったのだけれども、特定の宗教や考えを信仰している人たちだったので、付き合いを続けるべきか悩んでいるというものでした。それに対してチャネラーさんは、〝この宗教や考え「だけ」が正しい〟と言ってくるのでなければ、付き合いを続けて構わないと答えたのです。
自己啓発系のセミナーとそこで知り合った多くの人たちが、特定の商品やサービスを〝〇〇するならばこれ「しかない」〟という形で勧めていました。私などはドケチでかつ人と価値観がかなり違うので、ネットワークビジネス系の誘いはほとんど受けなかったのですが(取り組んでいる人たちから見れば、やらなそうな雰囲気が最初からわかるのでしょうね……)、〝あなた「しかない」〟という誘い文句で一度、かなりの金額をつぎ込んでしまいました。ーー本当に馬鹿ですね。
宗教やネットワークビジネスでの商品やサービスも、一途に信じてそれだけを続ければまた違うこともあるのかもしれませんが、もし自分に何らかの利があるというならば、それは最初に始めた人、一部の上位の人だけです(先のヒーラーさんが同じことをおっしゃっていたのを、これを書いていて思い出しました。仕組みが仕組みなので、末端の人たちというのは「とても人柄が良い」という結果になるのだと……)。
少し本題からずれてきたような気がしますが、「だけ」「しかない」という言葉はまるで麻薬のようです。確かに、「〇〇だけ」「〇〇しかない」で取り組み続けることはそれはものすごいエネルギーですので、それによって突き抜ける人もあるのだろうとは考えられます。しかしながら私には、〝だったらどうして古今東西それをする人で充満していないんだ?〟という疑問が生じます。
〝あなた「しかない」〟については、それほど優秀だったら私はすでに大成功者か覚者であってもおかしくないわけで、そんなことを平気で言う相手の見る目のなさをまず疑うべきでした(自己肯定感が低いと、簡単にひっかかります)。
結局、振出しに戻って一からやり直しなのかとがっかりするのですが、「だけ」「しかない」の勧められ方については、これまで一貫して嫌な経験しかしてこなかったわけですし、「だけ」「しかない」という勧め方をしない方たちを信じて取り組んでいこうと思います。
たぶん、「だけ」「しかない」のあり方でしっかりとご自身の目的を果たしたり、成功していたりする方というのは、自分に自信がある上にたゆまぬ努力をされたのだということです。その事実こそを大事にされて、どんな目的であれ他者は巻き込まない方がいいのではないかと私は考えるのです。
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