女性の多くはお花が好きだと思いますが、私はあまり好きではありません。水をあげたりとかいう世話がありますし、切り花はせっかくきれいに咲いているのを切り取るのは、かわいそうだと思っていました。
さて、「思いがけないいきさつで、エネルギー的なヒーリングの技術を学ぶことに」なったことは、前回の記事でお話しました。
登り口はいつくかあっても頂上はひとつ
https://zarara1111.blogspot.com/2024/05/blog-post_18.html
その際に、花(切り花)と会話する練習があり、時間は与えられましたが集中力は途切れ、意味がわからず発狂しそうでした(笑)。ところが、花をまじまじと見たことなどこれまでまったくなかった私が、花が生命を持っている証である微細な組織などが見えてきたところで、切られても平気だというような感じが伝わってきました。さらには、用意した花を私は誤って踏みつぶしてしまっており、傷も付いていたのですが、それも気にしていない様子でした。
そのことを講師に伝えると(講師は、このブログでも何度も話題にさせていただいている、長いこと相談をさせていただいているヒーラーの方です)、たぶんそうなのだと伝えた後に、花や植物の特徴を教えてくれました。それは、花や植物は与えることに寛容だということでした。だから、切られても大丈夫だというのです。同じようなことを、前世・過去世のヒーリングをしている方からも伺っていました。野菜は食べられて嬉しいのだそうです。
花のあとは石を使ったのですが、花やきれいな石は女性が好む物であり、虚栄心を満たす物だと私は思い込んでいました。花や石は、女性の虚栄心を満たことに加担している〝悪〟の存在だと(笑)。でも、違ったのです。持ち主はどうであれ、花や石はそんなことお構いなしに、ただそこに存在して与えているだけだと理解しました。
そうだとすると、花や野菜、あるいは石の純粋な思いを、清く美しい心で受け取ることが大事なのだわかりました。そしてもうひとつ学んだことは、〝花は切られてかわいそう〟というのは、私の偏狭な考えでしかなかったということです。
人が同じ世界を見ていないことは、以前もこのブログで触れました。
他者は自分と同じ世界を見ているのか?
https://zarara1111.blogspot.com/2024/05/blog-post_6.html
人だけでなく、あらゆる生き物や物質がそれぞれに持つ異なる存在意義を知ることは、人間存在や世界に対する視野を広げるために重要だということに、あらためて気づかされました。女性性を高めるのに花が効果的というので、ここ何年か部屋に花を飾っていましたが、そんな〝目的〟を超えたところで、花を愛でることの本質について気づきを与えられました。
まずは、花がただ〝与えて〟くれることを、素直に〝受け取る〟ことができるようになれればいいと思っています。
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