このブログを始めて二か月が過ぎ、記事も七十近くになりました。どういうわけか書こうと思うテーマには事欠かないのですが、フルタイムの仕事ではないとはいえ、正直、毎日……というのはしんどい時もあります。
今日は、本業も副業もあったために何となくぐったりしています。それでも一日一記事を守っているのは、これを「行(ぎょう)」であるという認識で取り組んでいるからです。それというのも、前世・過去世の問題でお世話になっている方の話を聞いて、すべきであると思ったことが動機です。でも、継続してどうなるのかはいまいちよくわかっていません。しかも、無料で開設できるブログを用いることも検討しましたが、Xサーバでドメインを取得してWordpressを使うことを勧められたのと、三年は続けるように言われたので、Xサーバのレンタル代を三年間一括払いして退路を断って続けているという馬鹿っぷりです。
その後状況が変わり、今現在は本ブログをはじめ「行(ぎょう)」とされたことをすべてやめています。これについては別のところで言及するかもしれません(しないかもしれません)が、こちらで書くのはやめておきます。
ただ、一か月ほど継続したある時、〝読まれていないのも同然なのに、人を助けるという「行(ぎょう)」になど、なっていないのではないか〟と、不安になりました。ヒーラーさんにあわてて質問したところ、大丈夫だというお返事でしたが、その理由は明確に示されませんでした。
大丈夫だと言われても釈然としないまま継続してきて近頃は、〝きっと未来に読む人がいるからいいんだ〟ということを思いつきました。最新の物理学では、過去・現在・未来という「時間」は存在しないということです。だとしたら、経験上、ブログもYouTubeも開始してずいぶん経たったところで閲覧・試聴の数が伸びてきますので、それでいいのかもしれないと納得しました。
実は、昨日の記事の最後で、家族が「まるで別人のよう」になったことについて書きたいと言っていたのですが、心身の疲れがありましたし、時間も遅くて今日中には書きたいことを書き尽くせないと思い、「時間」に関わる常識を外す話題に今日は触れてみました。
まるで別人のよう
https://zarara1111.blogspot.com/2024/05/blog-post_27.html
「まるで別人のよう」問題には、いわゆる「時間」の常識を外すことが必要になるので、今日のところはメインテーマ前のウオーミングアップ(?)と思って読んでいただけたのであれば幸いです。
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