〝みんな持っているのになぜ自分だけ持っていないのだろうか……〟
子どもの頃は、クラスメイトが持っている物を持っていないと話に入れないといった不安で、親に無理を言って買ってもらった物などが随分ありました。
大人になってからは、自分の自由になるお金で欲しい物は買えるようになりましたし、まず第一に、人が持っている物を気にすることもほとんどなくなりました。しかしながら、物ではないいくつかのものを、実はずっと渇望していたことに最近気づきました。
ひとつは、他人からの評価です。認められないのが辛いと、いつも苦しんでいました。
もうひとつは、少し恥ずかしいので具体的には秘密にしますが、他人は得ることができて自分には得ることができない理由は、自分があらゆる面で劣っているからなのだろうと考えていました。ゆえに、持っている人をみるたびに落ち込み、彼・彼女らを妬ましくさえ思っていました。
両者に共通するのは、お金で解決できるものとは異なり、自分一人ではどうにもならない、他者がかかわるものであるという点です。そしてそれらは、〝こうあるべき〟〝これが普通〟といった大多数の人間の共通認識があるということです。ーー私は、こうした枠組みから外れていることを恐れ、あるいは、恥じ、自分もそれらが得られれば満足できるし、幸せになれると信じていました。
しかしながら、ここ最近、まるで自分を見るような形で、上の二つを欲しがっている人間を目の当たりにしましたた。正確に言うと、「他人からの評価」を欲しがる人については、数年前に初めて会った時から不愉快な思いを抱いていました。その理由がずっとわからなかったのですが、最近になって〝自分もこの人と同じことをしている……〟と気づき、同族嫌悪だとわかりました(実を言うと、前世・過去世もからんでいた人物のようでした。このあたりは、時間が経ってあれこれ気持ちが整理できましたら、このブログでお話したいと思っています)。
もうひとつについては、つい最近初めて会った人で、その〝欲しがり〟具合が過剰に感じられて、最初は不愉快に思ったのですが、だんだんと聞いている私の方が恥ずかしくなってしまいました。しかし突然、〝大きな声で他人に伝えていないだけで、欲しがり度合いは私もあまり変わらないのではないか……〟という考えが起こり、これは相手に対しての感情ではなく、自分の感情だと思ったのです。
自分と同じ〝欲しがり〟な人間の姿を見て、二つのことを学びました。まず、自分でない他人や世間が決めた何かを欲しがることは、決して満足も幸せももたらさないということとです。加えて、不愉快な他者の言動は、鏡で自分の姿を見ることに等しいということです。
心理占星術で説かれる、人が他者に対して否定的な感情を抱く時、問題はその他者ではなく自分の内部に存在しているというのはこのことであるのだと、痛いくらいに思い知った出来事でした。
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