先日、何がきっかけでその話題になったかは忘れてしまったのですが、占いの講座の生徒さんが〝「氣」という漢字は日本人がお米を食べることで大きな力を出せるということを意味しているけれども、戦後はそれをわからなくするために使わせなくなった〟ということを教えてくださいました。
ちょうど先日、このブログで合気道の開祖とその弟子について取り上げましたが、私が教わっていた合気道の先生がやはり「気」を「氣」と表記していたのを思い出したので、消された言葉の話題に興味を覚えました(先生からは〝「氣」の中の「米」は自分の気が八方に広がる様子〟だと教わりましたが、その解釈も深いと感じていました)。すると、その後にYouTubeのフィードに次のようなショート動画が上がってきました。
この動画の中では、「體(からだ)」「弥栄(いやさか)」「そしじ」〔主要な辞書等では掲載がありません。「そしじ」のみを扱っているこちらのサイトに詳しいです。サイトについて – そしじ.com (so-shi-ji.com)〕が紹介されています。
たびたびこちらのブログでも登場する、とても霊的能力の高い方が今年に入って常々話しているのが、丁寧に言葉を使ってくださいというものです。いろいろしてくださる話の中で、世界各国の〝情報戦争〟がすでに始まっているということもくり返されています。ーーこのように、言葉と文化を貶めることは、目に見えない〝戦争〟なのかもしれません。
たかが「言葉」と思われる方もあるかもしれませんが、言語を習得した私たちは「言葉」によって世界を認識しています。それというのはつまり、「言葉」のないものは基本的に存在しないということ(見えたり聞こえたりしていても、名前がないのでそれらを認識の外に追いやってしまう)であり、「言葉」によって評価をしているということ(動画を見てもらえばわかるのですが、実際の物や現象に対する価値を高めることも低めることもできる)です。
私が言葉(国語)を専攻することから始めて、だんだんと日本の古典文学や思想書へと研究をシフトしていったことには意味があって(無駄なことではなくて)、貢献できることもあるのではないかと思える気づきでした。「言葉」とともに消されてしまった概念や人々の思い、書き換えられてしまった歴史上の事件や人物もたくさんあると思うのです……。
この記事を100本目にできてよかったと思っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿