最近、情報の〝断捨離〟に気をつけています。昨年のFacebookに始まって、どういうわけか順番にSNSも使えない状態になっています(寂しいですが、また人間関係が変化するのかなと感じています)。
今は、馬鹿みたいに「後で見る」に入れておいたYoutube動画の数が多くなっていて、一回見て削除するかそのまま削除するかして減らしています。これまでYouTubeではたくさんのことを教えてもらうことができました。しかし、再生数稼ぎのような内容も多いですし、こう言ってはなのですが、登録者数が急に増えて配信者の雰囲気が変わってしまったチャンネルに対して、嫌な気持ちを抱いたりしました。そんなこともあり、有料でも確かな情報を得ることができるメディアにシフトしています(もちろん、人柄が伺えて、なおかつ、頑張っている配信者さんのYouTubeチャンネルは続けて視聴しています)。
ためておいた「後で見る」動画の中には、岡田斗司夫さんの切り抜きもたくさんありました。その中で、今朝見て興味深かった動画を一つ紹介したいと思います。
岡田斗司夫さんは、「感動」の本質とは何だろうかと問題提起し、まず、ロバート・A・ハインラインのSF小説『異星の客』をとりあげます。
独り火星で育った主人公は、成人して地球で生活するも、笑うことがありませんでした。ところが、連鎖的に弱い者を攻撃する猿(一番弱い立場の猿は怒りを地面にぶつける)の姿を見て、初めて笑いというものを理解します。ーー「笑うっていうのは何かに対する攻撃かその攻撃の裏返しでしかない」というのが、主人公が理解した笑いの本質でした。
岡田さんは、「笑い」の本質が「攻撃性」である他に、「怒る」ことの本質が「無力感への抵抗」ということと、冒頭で示した「感動」の本質が「罪悪感だ」であることを発見したそうです。
ラブストーリーの「映画」に「感動」するのは、「そんな風に純粋に生きていない自分を許すため」だというのです。なかなか鋭い考察ですね。
前世・過去世的な視点から見ると、これらの行為とともにわき起こる感情の背後には「攻撃性」「無力感」「罪悪感」を覚えるような事件が自分の身に起き、それらが未浄化のまま残っているのではないかと私は考えました。
岡田さんは「感動」(の仕組み?)が「やや複雑」としていますが、私には「笑い」の方により複雑さと戸惑いを覚えます。もしかすると、岡田さんは「罪悪感」に難のあった前世が鍵であり、私は「攻撃性」にカルマを抱えるような前世への悔い改めが必要なのではないかと思いました(実際、そんな前世・過去世が多いようです……)。
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