私はスマートフォンを持っていません。〝持っている〟と言うことで、知り合う人や利用したお店でSNSやアプリの登録をしてほしいと気軽に言われるのがあまり好きではありません。お店はまだいいとして、人に関しては、コミュニケーションツールが持つネガティブな面により、自分でも思わないようなトラブルにつながる可能性があるのが本当に嫌です。
そうはいうものの、とあるSNSが使用できなくなってしまい、そのアプリが利用できるデバイスの購入を検討しています。現在忙しくて量販店などに足を運べないということもありますが、オタク気質なので、ネットを用いて情報収集をしています。ドケチな私にとって気になるのはやはり価格です。
日本製なのか海外製なのか、有名ブランドやメーカーか否か、この機能の有無はどうなのか、製造年月日はいつなのか……そうした面をきちんと見ていくと、電子機器の価格は最終的にはこんな感じで落ち着くんだなというラインが見えてきます。あとは、自分が何を目的にしてそれを使用するかを明確にすることで決断します(購入しない選択も含め)。
電子機器に限らず、食品類も含めて生産物の価格の大概は似たようなものだと思われます。ただ、嗜好品やブランドが物を言う場合は少し違ってくるのですね。このあたりが、貨幣経済に巻き込まれるかどうかの指標になる気がします(……あるブランドの基礎化粧品愛用者である私は、そのあたりで他人への説教はできないですね)。
SNS類が好きではないことと価格という面で、時々ですが少し不快になる出来事があります。私は一応、専門的な研究者の端くれではあります。研究者であることをことさら強調する気はありませんが(大きな組織に立派な肩書で属しているわけではないので)、図書館やネットで調べればわかることを聞いてきたり、多くの人がそれ以上は調べても無理だとしていることを個人的な興味・関心だけで質問して執拗に答えを求めてきたりするのは、どうかと思う時があるのです。
また、歴史や文学の分野の〝サービス〟における価格の設定は、生産物での例がまるで当てはまらないことが、時に感じる不快な思いに拍車をかけます。歴史や文学の講演会やイベント、簡単な冊子類などの成果発表と成果物の一般開放というのは、自治体や大学・研究機関における文化事業や広報の一環として行われるため、立派な研究成果や肩書のある方たちのそれを、無料かとても低価格で受けることができます。個人で取り組んでいる人が報酬を受け取るのと違うシステムが存在しているのです。
自治体や大学・研究機関に属していないからといって私が専門家でないかというと、先にも書いたとおり、論文もぼちぼち書いているので一応専門家です。時間や労力を一方的に要求するだけの質問や依頼に対して、疑問を感じて悶々とすることがあるのは、ごく限定的な分野ではあってもプロであるという意識があるからですが、SNSというのは、ワンクッション置くことなくその壁を越えて来る人を増産していると思います。私が長い間相談しているヒーラーの方も、依存的なコメントやDMは一切受けないと言っています。
ヒーリングやチャネリング、占いなど、前世・過去世を扱う分野も、料金体系が生産物とはまったく異なるのでなかなか難しくはありますが、しっかり調べるとある程度の相場はあります。利用する場合、専業主婦でずっといらした方や、あまりオタク気質でなく調査などが苦手な方ほど、(よほど直観がすぐれていて、選択に失敗したことがないという方以外は)ここばかりはしっかり調べた方がいいと思います。騙されない点においてもですが、サービスや施術を受けるにあたって相手の方に失礼のない点においてもです。
ただ、本物であるほど、こうした仕事を社会的な仕事とは異なる次元での〝役割〟だと認識している方も少なからずいて、ものすごく安かったり、ネット上ではほとんど宣伝していなかったりすることもあるようです。そういう意味では、私の歴史や文学研究における専門的な知識や経験も、別に無料だっていいのです。例えば、郷土史に興味があって学んでいるという子どもさんや、地域貢献でそうした調査・研究をしている方であるとかは、お金を取ろうなどとは思いません。ーーそれが、もっと多くの人(現在のみでなく、過去から現在をつなげることすらあります)の役に立つのがわかるからです。
価格は一つの基準ではありますが、価格が見えにくいジャンルでの本物を見抜いたり、自分が無償でそれに関わってもいいかを決定したりする場合は、別の基準での判断が必要かもしれません。ーー選択を誤らないか否かは、エゴ(利己心や損得勘定)の自覚にあるのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿