前回は、「貨幣経済社会を〝真に〟制する者は誰なのか」という視点で、『望郷太郎』の作品紹介をいたしました。
【人間存在に対する新たな認識を得る作品紹介】山田芳裕『望郷太郎』〈表〉
https://zarara1111.blogspot.com/2024/06/httpszarara1111.html
先に『スケルトンダブル』を紹介した時に、〈表〉主人公と〈裏〉主人公という形で考えを記したのが気に入ってしまい、『望郷太郎』についても〈表〉テーマと〈裏〉テーマという形で書いてみることにしました(最近の漫画作品自体が、このような構造を持ったものが多いのかもしれません。今後紹介したいと思っている作品でも探ってみたいと思います)。
私が読み取った『望郷太郎』の〈裏〉テーマは、〝残虐〟の人類史です。五百年の人工冬眠から目覚めた主人公の舞鶴太郎は、最初に遭遇した人間たちに〝食われ〟そうになります。作品の重要なキャラクターの一人であるパルと生活をともにしているうちに、〝もしや〟と思っていたその事実が間違いでなかったことを太郎は知ります。パルは人肉食に対して嫌な思いを抱きながらも、禁忌(タブー)視されていないことを太郎に語ります。
太郎が日本を目指して進み、人間の集団の規模が大きくなるに従い、彼に敵対する人間たちの間において人身売買、嗜虐的な饗応(脅迫材料にもする)や人皮靴といった、目を覆いたくなるような出来事が次々と描き込まれて行きます。
また、過失もなく支配される側となった人間たちの〝恨み〟の描写にも凄まじいものがあります。生死をともにし、知恵も勇気も人柄も申し分ないとと太郎が評価していたような人間ですら、〝恨み〟によって思考と感情が歪むのを見ると、太郎とともに私もまた、暗澹たる思いを抱かずにはいられません。
『望郷太郎』を手にした頃に、私は前世・過去世のヒーリングをしていただける方に出会いました。そして、ヒーリングが必要な私の前世・過去世では、『望郷太郎』に登場する人物たちのような〝残虐〟な行いと恨み恨まれの履歴がいくつも存在しました。ーー我が身の罪深さに震えました。
もちろん、残虐な行為の背後にやむを得ない事情を抱えた前世・過去世もありました。しかし、そうであったとしても、〝自分は違う〟という思いに固執するのが無意味であることを、ほぼ感覚的に悟るのです。人生において長く苦しめられた原因不明の心身の不調を思えば、例外扱いすることや一笑に付すようなことができませんでした。
こんな大事なことを私は忘れてしまっていたのです。『望郷太郎』を読んだことと前世・過去世のヒーリングができる方にお会いしたことは、何らかのサインやシンクロニシティではなかったかと思います。
残虐描写のある作品の評価は分かれます。過剰に反応する人もあると思います。しかし、少なくとも私にとって『望郷太郎』は、貨幣経済に挑戦しようという〈表〉テーマとともに、多くの人間が忘れてしまっている残虐性を帯びる前世・過去世とそれにともなう恨みの応酬に気づかせるまさに「野心作」であるととらえています。
※本記事で取り上げた『スケルトンダブル』の記事は以下になります。
【人間存在に対する新たな認識を得る作品紹介】コンドウ十画『スケルトンダブル』〈表〉
https://zarara1111.blogspot.com/2024/05/1-shonenjumpplus.html
【人間存在に対する新たな認識を得る作品紹介】コンドウ十画『スケルトンダブル』〈裏〉
https://zarara1111.blogspot.com/2024/05/blog-post_24.html
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