仕事上、一日PCに向かうことも多い私ですが、最近は、政治家等の有名人の言動についての暴露動画ながやたらYouTubeのフィードに上がってきます。根も葉もないものもあるとは思いますが、火のない所に煙は立たないということわざもありますし、同じような内容の動画がいくつも作成されたりしていると、〝そういう人間性なんだろうな〟と納得されることもあります。
携帯電話やスマートフォンの普及で、子どもたちの間でもSNS使用が普通のこととなり始めた頃に学校の現場にいた私は、リアルのいやがらせやいじめ以上の対応の困難さを覚えました。しかしながら、リアルのいやがらせやいじめ同様のことが、SNSに場を変えただけだというのも理解できました。成熟した集団においては、リアルの世界同様にSNSの世界においても問題は起きにくい一方で、その逆の場合は、問題が深刻化する傾向にありました。
ゲームやSNS依存に至っては完全に個人の問題でしたし、最終的には個々の人間性に拠るところは大きいです。スマートフォンとSNSの登場により、人格形成が何にも増して重要であるという確信を得ました。
よって、SNS有名人や成金が、有名人や成金になった同じツール上でふと漏らした一言が炎上して没落するというのもおおいにありえることですし、権威・権力のある人物の不用意な一言や公共の場での振る舞いなどがネット上で拡散されたりして、その地位を失うこともあるわけです。人間性の面で問題がないのであれば、まず問題の火種がありませんし、誹謗中傷であれば相手にしないか適切な措置を取れば大過なく終わることが多いです。また、たとえ本人の過失だったとしてもリカバリーできる余地がおおいにあります。
SNSやYouTubeは、本人の閲覧履歴、フォローや登録チャンネルをAIが解析して、その人その人に合わせた情報を送ってよこしています。他人のスマートフォンの中身は魔窟だったりするんだろうなと思うことがあります。子どもの頃、近づいてはいけないと大人から言われた場所があるように、ネット上にもそういう〝悪所〟はあるのだと想像されます(リアル以上にヤバそうです……)。
現代だと、リアルが先かネットが先かがわからなくなっていますが、そういう場所に近づかないのは大事だと思います。人生は出会う人間で大きく左右されてしまいます。ただ、いろいろな面でその棲み分けや分断は大きくなっていて、まさに〝二極化〟の様相であるという印象を受けます。そして、この両者が遭遇せざるをえない様々な場所(ネットだけでなくリアルでも)で、衝撃的な事件が起きているのではないかという恐怖を感じています。
それでもまずは、できる限り〝自分の身は自分で守る〟ことに心を砕くことが、〝二極化〟を生き抜くために必須ではないかと考えます。少なくとも、何かがあった後にSNS等で〝あの人ならそうなっても仕方がなかった〟などと言われて、不特定多数の人にそれネタにされ、肯定される人生というのはどうかと私ならそう思います。
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