連絡用のあるSNSが使えなくなって半月以上が過ぎました。不便かと思いきや現在のところかなり快適です。前回は父親が流し続けるTVの〝雑音〟の話をしましたが、情報も目に入ってしまえば意識に働きかける〝雑音〟なのですね。思えば、そのSNSを始めるきっかけとなったコミュニティは解散してしまったわけですし、家族も私と同じ考えでそのSNSは使用していないので、困ることなどほとんどないのです。
入院は強制的に〝雑音〟から逃れるチャンス
https://zarara1111.blogspot.com/2024/06/blog-post_12.html
ただ、個人ではなく複数人での連絡には大変すぐれているツールです。友人・知人のグループや特定の目的のためのグループを作成して連絡してくださっている係の人には負担をかけたくありません。ゆえに、まったくやめてしまうのも考えもので、再開時期やそのあり方については考え中です。
さて、そのSNSでグループを作成されていて、今後どうするかの面で悩ましいコミュニティがひとつだけあります。とても好きで参加していたのですが、ある時期から参加が辛くなってきました。あまり関わりたくない感じの人たちが参加したのがその理由の一つですが、以前は親しくしていた人たちの印象がだんだんと変わってしまったことが大きいです。
もしかしたら、現在の方がその人たちの本性だったのかもしれないと思うこともありますが、マンデラエフェクト現象の一つなのではないかと思うこともあります。そのコミュニティには、感染対策の行動規制があった時期に参加し、その行動規制が解除される頃からだんだんと参加が辛くなってきたのに気づいたからです。
私自身、行動規制がなければそのコミュティを発見して、参加することもなかった気がします。それから数年の間、そこでの学びがあったのですが、参加をどうしようか考え始めた頃に、もう自分一人でも学べると思い、また、そのコミュニティに変わるリアルでの学びの場(コミュニティよりも自分の目的にあった、少しレベルの高い場所)を見つけもしたのです。
最近では、そのコミュニティでのすべきこと、つまり、お互いそこに集まって何かをする〝課題〟や〝役割〟を終えたのではないかと解釈しています。子どもの頃、『ドラえもん』の映画のラストシーンで印象に残っている場面があります。確かタイムマシンだったと思いますが、それを使って行き来していたドラえもんとのび太たちが、だんだんとお互いの世界(時間)がつながらなくなり、両者の入口の距離が開いていき、限界だという時にお別れをしたというものです。
大人になって不思議なことを体験した今では、もともとがつながるはずのない世界(時間)だったところに、必要があって限られた期間だけ両者が何らかの縁でつながっただけで、別れは必然だったのだな……ということをその場面にとらえることができます。
私とそのコミュニティでも、同じ現象が起きているのかもしれません。しばらく参加することなく久しぶりに参加したところ、違和感を覚えて〝もう参加しないだろうな……〟とふと思ったのです。ただ、別の形でかかわらなければいけないことがあり、そのかかわり方については少し問題があったのですが、そちらにも適切なあり方で対応すようになるのかもしれないと考えました(話題にしたSNSは確かに便利ですが、否応なく人がそのシステムに取り込まれていくことを不快に感じます)。
マンデラエフェクトは身近な場所では起きにくいと、前世・過去世の問題を相談しているチャネラーさんには言われたことがあります。少し遠い場所で起きやすいと教わりましたが、時間をおいて訪れた〝場所〟などはその対象なのかもしれません。オバちゃんのたわ言と思って聞いていただければと思うのですが、時々、感染症対策の行動制限前の世界に戻ったのではないかと考えることがあります(そう考えた理由については、また別の機会に譲ろうと思います)。
私が私であるために、いまだ足りないピースを求めて過ごした数年間は、ドラえもんやのび太のように別世界とつながっていただなんて……人生がおもしろくないわけなどないですね!
マンデラエフェクト問題2024①ー私の場合、あなたの場合ー
https://zarara1111.blogspot.com/2024/05/httpszarara1111_30.html
マンデラエフェクト問題2024②ー私の場合、あなたの場合ー
https://zarara1111.blogspot.com/2024/05/2024-szsymphony.html
マンデラエフェクト問題2024③ー私の場合、あなたの場合ー
https://zarara1111.blogspot.com/2024/06/2024.html
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