『ゴールデンカムイ』という漫画作品をご存じでしょうか。少し前に実写映画化し、その際に全巻無料で閲覧を開放していたサブスクサイトもありましたので、ご覧になっている方も多いかと思います。いずれ、先にこのサイトで取り上げた『望郷太郎』や『スケルトンダブル』のような分析もしたいのですが(両作品についても、引き続き考察を続けたくもあります)、今日は「後で見る」に溜め置いたYouTube動画の中から、気になったことについて書いてみたいと思います。
(『ゴールデンカムイ』の読んでまっさきに思ったのは北海道の地の浄化でしたが、脱獄囚たちの業の深さと同時に人間存在に対する深い理解も同じくらいの濃度で凝縮された作品でした。それらのテーマは準備が整ったらいずれ書きたいと思います。)
「可哀想なアイヌの出てくる小説や漫画はたくさんあってもう読みたくない」
「可哀想なアイヌなんてもう描かなくていいから強くてかっこいいアイヌを描いてくれ」
これは、作者の野田サトル先生が、作品を描くにあたって取材をした最初に、アイヌ関係者から投げかけられた言葉だったそうです。ーーはっとさせられました。
大変デリケートな問題ではありますが、これは、私たちが歴史をはじめとする社会科の学びの中でよくあることだったと思います。「可哀想」という感情の〝押し付け〟には、そこに必ず強者と弱者の関係性が見え隠れします。
中途半端にアイヌ文化を取り上げることは絶対にしないと覚悟を決めて最終回まで描き上げた
作者がそう心に誓って何年もかけて完結に至ったこの漫画作品には、個性的なキャラクターたちに託して、アイヌの〈表〉も〈裏〉も同じ熱量で伝えんとする気概に満ちあふれています。漫画というメディアのエンターテイメント性の中だからこそ、語ることのできる〝真実〟を私たちは目の当たりにするのです。
余談ではありますが、私が占い等でかかわっている方の中には、北海道に縁のある方が少なくありません。また、ここ数年、北海道で起きたいくつもの深刻な事件に心を痛めてもいます。いろいろ意見はあると思うのですが、個人的なカルマの清算が、北海道の地全体とともに起きているような印象を覚えていもいます。そうした流れの中に、『ゴールデンカムイ』も位置づけられるような気がします。
それにしても、近年の若手の漫画家の方たちの実力には驚かされるばかりです。私の少し前の世代では手塚治虫先生が図抜けていたと思うのですが、いわゆる〝チャネラー〟型の作家が増えているのではないかと思うことがあります(手塚治虫先生は、ある古い一族の末裔であることを知り、さもありなんと思いました)。
論より証拠ーーぜひとも、作品を手に取って読んでいただけたらと思います。
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