気を取り直して本ブログの執筆を続けることにしました。どういうわけか、閲覧数が増え始めています。読んでくれている人がいるのであれば書くかという思いと、喪失してしまった自分の進む方向性を見出すためでもあります。
ある決意をしたところで、種明かしのように、頻繁には見ていないSNSの投稿で、私の選択はやはり〝YES〟で間違いなかったと思われる情報を発見しました。一定期間、何らかの〝試験〟を受けさせられていたような気分になります。
断捨離も進めています。残されている時間でできることは限られていると考えるからです。断捨離は、具体的な物(私の場合は特に本や書類です)に紐づいた思考と感情を手放すのに有効です。
便利グッズや時短グッズのような物も、まだまだけっこうありました。こうした物を購入する理由はただひとつ。ーー本当に欲しかったのは〝時間〟であるにもかかわらず、自分のための時間の多くを奪う様々な事物の方が大事だと、信じて疑わなかったからです。根本的に自分にとって不必要なあれこれをいつまでも手放せなかったために、起きていた現象なのです。
ふと思い出したのは、このブログでも最初の方に掲載した、村上春樹氏の『1Q84』で提唱されている「大きな物語」と「小さな物語」でした。
【ツインレイを知るための創作作品①‐1】村上春樹『1Q84』
https://zarara1111.blogspot.com/2024/03/blog-post_27.html
さすがは村上春樹と言うべきか、この作品は来るべき時代を描いていたのだと気づきます。ーー「大きな物語」を捨てて、「小さな物語」を発見する時代の到来です。
いまだ世間では、レベル感や質的な相違はありますが、「大きな物語」に没入する人々に満ちています。実際、私はこれまでの半世紀で経験してきた違和感の多くは、「大きな物語」の強要やそれと気づかずに仕組まれた罠の数々でした。
一方で、辛く苦しい出来事というのは、実際のところ、「大きな物語」からの脱するための警告やそこからの脱出そのものであったことに気づかされたのです。
こんな私にわずかでもできることがあるとすれば、「大きな物語」の世界に疑問を持ち始めた人たちに、ひとりひとりが持つ「小さな物語」があると知らせ、それがどんなものであるかを〝語る〟ことではないかと思うのです。
そのために私は、傍から見たら支離滅裂で一貫性なくいくつもの分野の知識を身に付け、情報を収集し、学んできたのかもしれません。そうした能力や役割があるのであれば、このブログを続ける意味もあるのではないかと思うのです。
※ただし、こちらのブログの閉鎖は時期が来たら実行するつもりです(諸事情により)。
ユング心理学をベースにした占星術の講座を開講しています(個別対応型の講座です)。「小さな物語」を知る足がかりの講座として位置づけています。
https://resast.jp/stores/article/22545/73121
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