2024年8月26日月曜日

〝ゴミ〟か否かを決めるのは……


 ここのところ自己喪失ぎみで少しずつ回復を図っていたのですが、意外なところでまたやられてしまいました。

 何年もの間、主に専門書を売るのに使っていた古書店がありました。最初に利用した際の電話での応対の印象が良く、最近もこちらの不手際に親切に対応してくださったので、信頼して何度か利用しました。

 ところが今回、本を送る前のメールでのやり取りの段階で、取引はしない旨の連絡を受けました。もちろん、私が売ろうと決めた本が先方の商売にとってメリットがなかったからだという理由であることは十分に承知できました。

 何に落ち込んでいるかと言うと、まずは、メールの文面がやたら長いわりにあまり中身(気持ち)がないということでした。実は、これまでのこの古書店以外で、取引の対象を絞った古書店や古物商へメールや電話で問い合わせをしているのですが、必要なことだけの伝達であっさりしていて、むしろ納得できたということが多くありました。

 今回話題にした古書店も、私が最初にコンタクトした時はほぼ店主ひとりで切り盛りしていたのだと思われましたが、商売がうまくいったみたいで、マスコミにも取り上げられた形跡があり、取引も専門書だけではなくなっていました。店舗の規模も大幅に拡大し、従業員が増えているのもわかりました(それ自体は大変喜ばしいことであると思っているのは、一言断らせていただきます)。

 その上で、私が集めて(読んで、あるいは、使って)きた本には価値がなかったと言われたに等しいことに、大きなショックを受けているのだと気づきました。

 この先に待っているのは、いずれ本だけではなく、持ち物の多くはすべて〝ゴミ〟と認定され、いずれはすべての〝ゴミ〟が有料での引き取りになるのではないのか……そんなことを考えたのでした。こんなところでまで、〝お前には価値がない、勘違いするな〟みたいな否定的なことを言われているみたいで、落ち込んでしまったのです(その古書店は、最近の取引先として個人ではなく有力な組織・団体が増えているようなことも匂わせていました)。

 もうこれは、本当に〝ゴミ〟として手放しなさいということなのか……。

 一方で、地方都市から首都圏に戻ってきてから、私はネットオークションなどを利用して、多くの物を手放してきました。出品する物についての必要と価値を判断するのは私ではなく、それを購入する相手側の人たちであるという体験を初めてし、それを積み重ねてきたことで、これまで常識だと思っていたことを打ち破るきっかけにもなっています(両親などは、いまだにこの感覚はわからないようです……)。

 こうしたささいな突っかかりが、自分にとって何らかのメッセージであることが、これまで何度かありました。早急に答えを出すのではなく、これまでとは違う方法なども考えて、でもできるだけ早く、もっと身軽になってすべきことを集中的に取り組んでいきたいという自分がいるのも確かなのです。

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