こちらの話題は、本ブログを始めた時から書こうと思って下書きのままにしておいたものです。書きたいし、書くべきだと思いながらも、なかなか考えがまとまらず、言葉も出てきませんでした。しかしながら、150本目の記事の節目で「下書き」のボックスにこのデータだけが残り、やっと書く時が来たのだと感じました。
私の太陽のサビアンシンボルは、集合意識に対して個(エゴ)が突っ込んでいくという様子をビジュアル化したものです。でも、個(エゴ)は個でしかないので、破壊されておしまいです。しかし、時代が変わって、それはできるし、私のすべきことなのではないかという考えに、この数か月で傾いてきています。
三次元の世界で肉体を持って生きている以上、私たちはその制約を受けないわけにはいかないというのが私の現段階での考えです。仏教で「菩薩」と言われる人たちも、一度はそれを脱したにもかかわらず、肉体の苦しみを負ってこの世で人々を救済するという設定です。
基本的に人間は、個(エゴ)を脱していくことが必須です(それは、このブログで述べてきた家族をはじめとする人間関係や前世・過去世での制限や過ちに気づき、それを開放したり浄化さたりしていくことで可能と見ています)。そして、ある程度のところまで魂の成熟がなされてきた際、完全状態が100%だとすると残りの数パーセントは、個(エゴ)という容れ物におけるそうでないものの表現(現出)というのが必要になってくるのではないかと……私の周囲で魂の成熟度が高いと思われる方のサビアン占星術での鑑定を行って、なんとなくそう考えるようになってきました。
(私自身、ヒーラーやチャネラーと言われる方たちの力も借りながら、やっとここまでたどりついたという感じですし、誤りを皆さんに教えてしまっていたらどうしようという危惧を胸に秘めながらも、これを書いていると思っていただければ幸いです。)
ところが、そんなことを考え始めると、どうにもネガティブな思いしかなかった私の太陽のサビアンシンボルが急に輝き出すようなイメージが起こりました。巨大な高層ビル群の大動脈として決められたルートを高速で走る特急列車をよそ目に、ごみごみする低層の建物がひしめく街をのろのろいくボロ車が……。あるいは、「大きな物語」を語る数々の〝すごい人たち〟をよそ目に、そこに集まることに抵抗を示したり、違和感を感じるごくごく少ない人たちに対して、その人たち自身の「小さな物語」を語ってみせる「隠者」の姿が……。
私の心惹かれる日本のある時代にも、私の主君だった人たちが目指していたのは、「小さな物語」を生きる人々が共存し、助け合って繫栄する世界であったのではないかと思うのです。今に残る歴史書や物語では、その「理想」はわからないようにズタズタにされてしまっているようなのですが、敵とされた者同士が実は違う場所で同様に同じことを考え、それをよく思わない人たちによって「大きな物語」の中において、誤った考えや行動を起こしたもの、うち滅ぼされるべきもの、あるいは、取りに足らないものとして扱われているのではないかと……そんなことがこれを書きながら次々と勝手に浮かんでくるのです。
「大きな物語」から脱する
https://zarara1111.blogspot.com/2024/08/blog-post_20.html
今度こそ……。
変人は変人なりに、へそ曲がりはへそ曲がりなりに、我が道を行こうと思います。
本ブログの更新はこちらの150本目の記事を持って終了いたします。先に、いくつかの記事において、本ブログを予告なしに閉鎖する旨をお伝えしていますが、閉鎖については現在のところ未定です。
本ブログの記事を興味・関心をもって読んでくださっていた方は、個別にご連絡をいただければと存じます(商品やサービスを売ろうなどいう気はまったくありません。「本ブログの更新」の「終了」については事情があります。ただ、「個別にご連絡」をいただければ、これからも新しい記事をお届けできると考えての上のことです)。
【追記】
ここまでの150本の記事は、別のブログで展開していたものを、事情があってBuroggerに移行したものです。その後、こちらで新たに11本の記事を書き加えましたが、今後継続するかは未定です。〔2024年12月18日現在〕
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