前回は、オリンピックでの日本人選手の躍進を見て、指導者の重要性と今は何かを始めるのに遅いということがないということについて、自らの考えを述べました。
久しぶりにTVを観て
https://zarara1111.blogspot.com/2024/08/tv.html
一方で、判定や競技のあり方自体が日本人選手に不利だったのではなかというネットでの声もありました。これについては、私が子どもの頃からずっと言われていることではあります。
例えば、フィギュアスケート界では現在、高い技術力と表現力で世界の頂点に立つ日本人アスリートを何人も輩出していますが、その先駆者である伊藤みどりさんの演技を現在の採点基準で得点化するとう動画を見ました。それによれば、技術だけで現在の女子選手を圧倒するくらいの点数でした。ーーしかしながら、伊藤みどりさんは世界の頂点には立ったことはなかったと思います。
そんな伊藤みどりさんですが、すでに現役を引退して三十年くらい経っているのでしょうか。それにもかかわらず、おそらくみどりさんよりも若い世代の方が、こうして〝レジェンド〟として彼女を称賛する動画を作成してその再生回数が重ねられているという事実が、オリンピックや国際大会での〝金メダル〟以上の価値があるというとらえ方はできないでしょうか。
個人で情報を発信できるYouTubeやSNSの仕組みでは、人々の〝感動〟や〝感情〟がストレートに発信され、受ける側のそれらをさらに呼び起すと言えるでしょう。そうした世界観の中では、みどりさんは金メダリストであるという誤解や思い込みが生まれ、それによって〝レジェンド〟はどんどん書き換えられていくのではないかと思いました。
こうした現象が「物語」、ひいては、「マンデラエフェクト」の発生のメカニズムであるのかもしれません。
また、個人個人の人生で言えば、オリンピックだろうが世界選手権だろうが、それはすべて現世的な〝評価〟による達成でしかないのです。前世・過去世、そして、未来世なるものまで見据えるのであれば、自分自身がしたいと思ったことに一心に打ち込み、自分自身がその時のベストを尽くして〝やりきる〟ことが第一なのかもしれません。他者本位の〝評価〟は、求め続けたところで満ち足りることなどないようにできているのです。
いまだスケートを続けているという伊藤みどりさんを拝見したのですが、とても若々しく素敵だと感じました。
また、判定や競技の在り方で敗退したと噂される日本人アスリートの方たちに対して、会場の観客からはもちろん、ネット上も、文字通り世界中から声援が送られたようです。ーー私たちひとりひとりが自分自身の価値観を大事にしていい時代が来たのだとしたら、誰か一人に対してでも自分の頑張りが届いたのであれば、それはすごいことなのかもしれません。
そうでなくても、自分がこれだと思うことを〝やりきる〟こと自体が、問題を抱えた前世・過去世の自分に届き、未来までをも変えることになるのではないかと、私はそう漠然と考えるのです。
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