TVをほぼ観なくなって久しいのですが、父親不在の実家でオリンピックの競技を母親が観ているのにつきあって、いくつかの競技を観ました。
毎日、ネットのニュースサイトでメダルの数の表示が出るのでも気になっていましたが、日本人アスリートの活躍著しいことを知りました。その理由をいくつか考えたのですが、指導者の問題は大きいと思いました。
アスリート自身が、自分たちの身体的な個性に合わせて最大限能力を発揮できる指導者を自らで見出し、指導者の成功や体験による押しつけがない中で、型にこだわらないパフォーマンスを極めていることを感じました。
「型にこだわらないパフォーマンス」という点では、「無課金おじさん」の愛称で日本人が夢中になったトルコの射撃選手もそうですね。彼はこれまで、ガジェット類を装備しないことをとやかく言われてきたということです。それでも、自分の能力が発揮されるのはこれだという形を貫いてきたということです。
確かに、アスリートにとどまらず、現在若い人が様々に活躍を遂げている背後に、優秀な指導者があったと感じています。
私自身を振り返れば、あらゆる場面で〝そんなのはだめだ〟〝それはおかしい〟と言われ続け、自分を押し殺してきました。若くてエネルギーがある時期に、指導者には恵まれなかったことが残念でなりません。時代的な制約があったとはいえ、自分が人とは相当にズレていることに気づいたのも、父親の強い抑圧があったことを自覚できたのもつい最近であったために、できなかったことではあるのですが……。
今回のパリ・オリンピックでは、若い人たちに交じって、遅咲きのアスリートの方がいらっしゃることも知りました。ーーしたいこと、すべきことをするのに、遅いということもない時代になったのではないかと思います。
このブログでも時々触れている、高い能力のチャネラーさんが〝メンター〟のことについて情報を発信していました。自分を超える生徒を輩出している指導者は真の指導者であるというコメントを見て、はっとしました。学校の現場で長く指導者であった自分のあり方を振り返り、自分自身のこれからの道に光を示してくれる思いがしています。
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