今年の二月にTVで、アニメ映画『かがみの弧城』を観ました。学校の教員だった際に、中学生の子たちが面白いと言って評判だった辻村深月氏の小説が原作で、内容が気になっていました。その作品が映画になっていたのだと知り、久しぶりに録画までして何度も観ました。
主人公は、クラス内での理不尽ないじめが原因で不登校となった中学一年生の少女です。ある日彼女は、自分の部屋の鏡を通じて不思議な城に引き込まれます。そこには、中学生の男の子と女の子が主人公を入れて七人集められていました。彼・彼女らを城に招待したのは、狼の仮面をかぶった小さい女の子で、その目的も城の正体もわからないまま、物語は始まります。
ミステリーの要素もある作品なので、これ以上は内容に触れないようにしますが、映画の中で主人公が不登校になった理由を知った母親と、フリースクールの若い女性の先生のセリフが、旧世代の学校生活を送った私には驚きでした。
「どうしても嫌なら無理に中学行く必要もないのよね」
「お母さんも私も何が何でも行かなくっちゃいけないなんて思っていない」
私が中高生の時は、学校を舞台にいろいろな漫画やTVドラマがありました。ーー熱い先生や頭脳明晰なリーダーとなる生徒がいたりして、みんなで学校の問題を痛快に解決する……恋愛も友情も、家族の問題解決も、全部学校にお任せ!みたいなノリがほとんどでした。基本的に、学校は楽しくて良い所なのです。しかし、私が教員になった頃には、陰惨ないじめなどを取り扱う作品も徐々に増えていきました。
ちなみに、私は作中の登場人物の一人である「スバル」くんとほぼ同世代で、「不登校」は「登校拒否」と呼ばれていた時代を生きています。通学しない・できないのは、子どもの側に一方的に問題があるとされていました。学校に行かないという選択肢は、ほぼ存在しませんでした。同世代はだいたい同じことを言いますが、学校や世間だけでなく、親も決してそれを許しませんでした(なお、スバルくんのキャラクターは、このブログのテーマと重なるところがあるので考察だけでも何回か書けそうですが、それは別の機会にしたいと思います。)
余談ですが、主人公の母親やフリースクールの先生、主人公と心の通じた唯一の友人はみんな女性で、彼女たちが、学校のみならずダメ先生とクラスメイトに対して筋を通して冷静に〝NO!〟を突き付けるあたりは、女性性と男性性の統合といった問題についても一石を投じていると感じました。
最後になりますが、私は学校教育の全否定をしているわけではありません。〝楽しい〟と言って通っている子どもたちもたくさんいます。学校教育の〝毒〟の部分に侵されないで成長できる子どもも、これからはたくさん現れると思います。また、まったく学校に行かないことについて、教員としての経験に照らしても、二つの面で懸念があります。社会生活をする上での基礎学力の面と、人とのかかわりを学ぶ面でのデメリットです。
私が最初に勤めていた学校は、高等学校だけの私立学校でしたが、中学校にはほぼ行っていなかったにもかかわらず、基礎学力が十分にある生徒もいました。聞くと、家族が家で教えていたそうです。これを、地域や学校とは違う集団やコミュニティでできるようにはならないのでしょうか。「氷河期世代問題2024②」でも記した通り、ガンダムファクトリーで抜群の英語力を発揮するような、社会に埋没する高学歴の氷河期世代が活躍するシーンがありそうです。これならば、人ともかかわりの面もクリアできる気がしています(学習指導などは、一家族での負担も軽減されます)。
ただ、最も大事なことは、学校であろうが、集団やコミュニティであろうが、お互いが違う個性と能力の持ち主であることを尊重し合えることではないでしょうか。真に好奇心を満たす知識や生きるために必要な学びとは、多様な人々との交流から生まれるはずです。問題は、純粋に何かをしたいという部分に、争や優劣がつきまとうことなのではないか思うのです。
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