先に、誕生日をどう過ごすかで悩んでいるかを書きました。
小さな悩み毎年
https://zarara1111.blogspot.com/2024/06/blog-post_21.html
特別な用事などなく(また、無理に人に祝ってもらう必要もなく)、のんびり一人で過ごしたいというのが私のささやかな希望です。特に、今現在少し無理をしてもがんばって取り組んでいることに一段落つくのが誕生日の日なので、誕生日だからというのは関係なく、心身ともにくつろぎたいと思っていることに気づきました。誕生日だからひとりで寂しいという思い込みも何ですが、誕生日だからくつろぎたいというのもまた思い込みなのかもしれません。そうではなくて、やはり休みたいというのが私の本音だったようです。
そして、ピンポイントでその日に用事を依頼してきた方の本音も、期せずしてわかったというか、自分と同じだったらしいというのがわかりました。私がその日に対応しなくてもできる代替案を出して、誕生日に予定を入れないというささやかな望みは守られました(笑)。
しかし、人の悩みとその解決策は、個人個人によって異なるということが重要です。今回は〝断る理由のあまりない頼み事を断るか否か〟という問題でしたが、悩むまでもなく断る人もいるわけで、逆にそういう方にとっては、〝断らないで受ける〟という選択に意味があったりするわけです。ただ、そうすべきである理由なども個々に異なるので、よくよく悩みの本質的部分を見つめる必要があることを感じています。
私は、人によく思われたくて(悪く思われたくないので)、人から頼まれるといつも嫌だと言えずに承諾してきました(余談ですが、今現在問題が噴出している自分の母親も、このマインドと態度が身心の困難の原因であると考えています。ただ、私よりもさらに二十歳以上年上の母親のマインドは凝り固まってしまっています。もっと早くにいろいろなサインはあっただろうに、そのたびに本人は(あるいは周囲も)それを無視してきたのではないかと思いました)。
逆に、〝うわ~、けっこう自分の都合押し付けるよな〟って人があるのは事実です。私は先の数年で、こうした図々しい人たちの依頼は即座に断るように努力し、自分の悪いマインドと態度を随分と断ち切ってきました。
人からこうした方がいいよということがほとんど合っていて、そのアドバイスをきいて効果が得られるのは、生活レベルでの問題が目立つ段階の時ではないかと思います。しかし、真の自己実現度(先にあげた記事では、その達成度が私は95%だということでしたが、その前後のレベル程度)が上がってくると、大多数の人が言うことが正しいとはなってこないのかもしれません。
残りの5%
https://zarara1111.blogspot.com/2024/06/blog-post_9.html
ただ、私には自分の行った選択がエゴ(自我)によるものか否かが、いまひとつよくわからないのです。長いこと相談をしているヒーラーさんからは、迷った場合には「愛」を基準にするよう助言がありました。しかし、何しろ「愛」がわからずに疑い、もがき苦しんできた前世・過去世を持つ人間であるので、そのセンサーはほぼぶっ壊れているのではないかと思うのです。それが、現在の悩みどころです。そして、私にとっての最難関の残り5%の部分であるのでしょう。
今考えていることは、今以上に生活をスリムにして、入って来る情報もまた減りに減らしてみてはどうかということです(これには、拠り所があるのですが、べつの機会にお話しできればと思います)。まだまだ、余計な物事を押し付けられている(あるいは、すすんで受け取ってしまっている)から、自分の軸がぶれて混乱するのではないかと考えています。
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