ここ何回か本ブログで取り上げた『ファクトフルネス』ですが、そろそろ図書館に返却しないとまずいので(終活を見据えた断捨離をしているため、基本的に本は図書館で借りています)、今日でいったんこちらの話題は終了にしたいと思います。
世界は一人一人の力で〝よくなっている〟
https://zarara1111.blogspot.com/2024/07/blog-post_14.htm
「過ち」に向き合う
https://zarara1111.blogspot.com/2024/07/httpszarara1111.html
『ファクトフルネス』の著者であるハンス・ロスリングは、「深刻だからといって、根拠の薄い最悪のシナリオと週末の予言などを振りかざしてはいけない」と述べています。「活動家」の中には、「大げさな話やでっちあげで恐れや焦りを引き出しても許されるはずだと返される」が、「恐れを煽るのはいやなのだ」と言い切っています。私のこれまでの人生において、「恐れを煽る」ことをした集団や人間に対しては、失望を覚えてそこから去っています。私の課題でもあるのでしょうが、一度や二度ではなく、何度も経験しています。そして、深い悲しみに陥ります。
もちろん、『ファクトフルネス』に書かれていることがすべて正しいなんて言いませんし、それ以外は間違っているとも思っていません。ただ、「恐れを煽る」方法をとる人の顔や言葉というのが、普通に怖いし嫌だと思ってしまう自分がいます。いろいろな人や考えや方法があって、さらには、変化だってあって、いいはずだと信じているからです。
「世間を盛り上げたいなら、自分の頭を冷やして賢く判断し、理にかなった行動を取ってほしい」とし、「必要なのは総合的な分析と、考え抜いた決断と、段階的な行動と、慎重な評価なのだ」というハンスの言葉には、自身の経験に基づく力強さがあります。
また、ハンスはテクノロジーの普及と開発も重要視しています。自分の祖母と母が洗濯機を「奇跡」と思い、母親と自分に本を読む時間を与えてくれたという、四歳の時の思い出を語っています。世界中の人がこの「奇跡」を当たり前に享受できる世を目指すことは現実的です。時間はかかったとしても、それでも世代を超えて実現は可能であると、そうした希望に満ちた事実がデータによっていくつも『ファクトフルネス』には示されていました。
何年か後に、ハンスではない別の誰かによって、この本の内容は〝書き換えられ〟るのでしょう。でも、実際に書き換えたのは、一生懸命に日々の生活を送る「名もなきヒーロー」たちです。
私にできることなど大したことではありませんが、それでも、自分の置かれた場所でできることに取り組みます。そして、世界中の「名もなきヒーロー」たちの活躍と安寧を願い、一日でも早く世界のすべての人々がテクノロジーの恩恵を受け、平和を享受できるために祈りたいと思うのです。
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