ここ最近は続けて『ファクトフルネス』の話題を取り上げていました。
欲しくないものをいらないと望む
https://zarara1111.blogspot.com/2024/07/blog-post_4.html
世界は一人一人の力で〝よくなっている〟
https://zarara1111.blogspot.com/2024/07/blog-post_14.htm
「過ち」に向き合う
https://zarara1111.blogspot.com/2024/07/httpszarara1111.html
図書館に返却するその日に目に入ったのは、「脚注」部分の「教育を受けた母親と、子供の生存率の関係」という見出しでした。教育を受けている母親の子供の生存率が上がるという事実です。ーーこれは、あることを知らないがために結果的にそうなっている(望まない事態の原因となっている)ということに対して、教育を施すことがいかに重要かということだと思います。
私がこうして興味・関心を抱いている、真の自己実現や人間関係の問題は、前世・過去世が引き起こしているものだという事実は、ほとんどの人が知らないことではないかと思います。もちろん、単に知らせたところで反発を受けたり、拒絶反応を示されてそれきりになってしまう場合の方が、現状では多いのではないかと思われます。
教育や学びは、レベルや段階があります。その見極めと見極められても習熟度別展開に制約があるというのは、長年教育現場にいた自分が常に苦労をしてきたことです。そして、よく業界ではよく言われることではあるのですが、初学者や基礎が不十分の成績下位者を伸ばすのが得意な教員と、逆に、応用や発展のところを助けてさらに上を目指す者を伸ばすのが得意な教員とがいます。両方できるという教員はいないわけではないけれども、分業した方が効率は絶対的にいいのです。生徒にも無理をさせません。
そして、私は前者でした。よって、この分野でも「初学者」を伸ばすことの方がうまくいくと思っています。要するに、何も知らないところから最初の一歩を導き、その後につなげるような役目です。きっと、長い自分の魂の歴史の中でも、そうした取り組みが多かった気がするのです。その中から、ものすごく成長する〝生徒〟もあったのだと思います。私にとっての教育の仕事の面白さは、確かにそこにありました。
子どもたちを教えていた時とは異なり、同世代以上の人とのかかわりが多くなっていますが、人生百年時代において、失われた三十年だかを生きた彼・彼女らを、これまでの常識をぶっ壊すような学びへと導くことは、私の能力を最大限生かすことなのかもしれません。ーー流れに任せて、できることを続けたいと思います。
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