巻末の「脚注」部分を除いて、『ファクトフルネス』を読み終えることができました。著作権部分を確認すると2018年に出版された本のようなので、それから六年を経てなお、世界中の多くの人が手に取って読んでいる本だというのに納得しました。
欲しくないものをいらないと望む
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分厚い本でしたが、読み始めたらあっという間でした。ちなみに、私の専攻はもともと言語で、そこから文学や思想に移ったのですが、小さい頃から社会問題にも興味がありました。文学作品よりも、ノンフィクション分野を扱う新書類の方があっという間に読めてしまうことも少なくありませんでした。このあたりも、前世で法や裁判、記録(歴史書の作成)に携わっていたことが関係しているのかもしれません。
最終章のテーマは「愛」らしい
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さて、あまりにおもしろい本だったので、しばらくは『ファクトフルネス』の話題をこちらでも書いていくと思うのですが、「訳者あとがき」部分の問いかけが『ファクトフルネス』の成立の背後に存在していることと関わっていると感じ、強く印象に残っています。
「自分自身を批判的に見るべきだ」という主張を押し付けすぎるのはいけません。本能に支配されて事実を無視してしまう人をおとしめても、世の中はよくならないからです。必要なのは、誰もが「自分は本能に支配されていた」と過ちを認められる空気をつくることです。そういう空気をつくるにためには、本能に支配されていた人や、本能を支配しようとする人を叩くことよりも、許すことの方が大事です。
「訳者あとがき」より上杉周作氏のパート
『ファクトフルネス』がつくろうとしていたのは、まさにそんな空気です。ハンス自身、本能に支配されて何度も間違いを犯してきたし、人の命に関わる間違いもありました。この本の第10章では、モザンピークの道路が封鎖されて起こった悲しい出来事を紹介していますが、それは彼が35年間誰にも話せないほどの過ちでした。でも多くの読者は、彼の過ちを許すことができたのではないでしょうか。
「ハンス」とは、『ファクトフルネス』の著者の一人であるハンス・ロスリング(1948年スウェーデン生まれの医師、グローバルヘルスの教授、教育者。『ファクトフルネス』の出版を見ずに逝去。その意志は、ともに活動を続けてきた息子のオーラとその妻であるアンナ夫妻と、ギャップマインダー財団が引き継いでいる)のことです。
ハンス・ロスリングは、かつて自分が失敗したことから何を学び、どのようにその後につなげていったのかを、包み隠さず本の中で語っています。上記の引用中の「モザンピークの道路が封鎖されて起こった悲しい出来事」が「彼が35年間誰にも話せないほどの過ち」だったことを告白する箇所では、私も大変な衝撃を覚えました。ただ、私たちはその後の彼の功績の大きさをもって「彼の過ちを許すことができた」のでは決してないと考えるのです。ーー「過ち」にひたすらに向き合ったハンスの「勇気」に対して、私たちは自ずから「許す」という行為に導かれたのではないでしょうか。
「過ち」を犯した一人の人間が、そのことを正当化するのでもなく、ただ祈り許しを請うのでもなく、自らの職能と経験をもって出した一つの解答であり、孫世代の善き未来を願って私たちに残したのがこの『ファクトフルネス』という一冊の本であったと私は考えます。
私たちはハンスと同じことはできませんが、同じようにすることはできます。「過ち」も犯します。私たち一人一人の職能と経験とをもって、それに向き合うことによる〝創造〟が、自分とその周囲の人たちの生活を変え、世界を変えると信じます。
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