
私はタロットカードに関する講座(占いの方法などを教えるのではない講座)も展開しています。以前も、講座の中の気づきをこちらで記しています。「正義」のアルカナについてです。
タロット・カードは前世の鏡!?
https://zarara1111.blogspot.com/2024/04/blog-post_23.html
今回は「正義」のアルカナにも関係する、「剣」のエレメントについて考えてことをお伝えしたいと思います。
現在、長いこと抑圧されていた女性のさまざまな権利や不当な処遇について、声を上げ、改めていこうという全世界的なムーブメントが起きていることを、あらゆる機会に実感しています。それらは、単に「女性」というだけでなく「女性性」の問題にも関連しており、大きな関心を払っています。
しかしながら、あまりにも長きにわたり男性と男性性のもとで押さえつけられていたためでしょうか、解放されつつある女性と女性性のあり方に対して、過剰さを覚えることも多々あるのです。私自身、ブログの記事のタイトルをズバリな感じにしないのはそのためです。今、フェミニズムに抵触するようなことを発言すれば、攻撃されて、ひどい目に遭うことが多いからです(読まれてないので大丈夫といえば大丈夫なのですが、念のため)。仮に〝その攻撃は間違っているのではないか〟と思ってくれる人がいたとしても、怖くて仲裁したりもできない空気が生じたりもしています(少しだけ存じている方(男性)が、本人だけが悪いのではないのに、一方的に(女性から)やられたような形でさまざまなものを失った出来事を見聞しています)。
最近、話が面白いので視聴しているVtuberさん(男性)の発言が、ご本人はウケ狙いのネタだと思うのですが、なんとなく核心を突いている気がしました。それというのは、ある問題で意見表明していたフェミの女性の動画を視聴た際に、その女性の見た目がかわいくてムフッって気持ちにもなったらしいのですが、彼女の言っていることがおかしいのでまったくそういう気持ちがなくなりました……というものです。失笑しました(正直、こんなおバカなネタですら(Vtuverさんも私も)攻撃されないか心配になってしまう……)。
最近、岡田斗司夫さんらが問題提起されていますが、〝エロくて臭くて汚くてキモイ〟とレッテルを張られた「オジサン」が、新たな弱者となりつつあることを問題視していました。かつて抑圧されていた側が、解放の勢いに乗って抑圧していた側を攻撃する……ある意味、報復ともとれるおぞましい個人個人の無意識的・無自覚的な行動が、社会現象として許容されてしまうような社会であってほしくないと私は思います。
また、過激な「自由」にも異を唱えたくなります。某都道府県知事選の選挙ポスター問題、あれ、何ですか。売られたポスターの枠内の無関係でえげつない広告(かわいい動物イラストとか、無駄にほっこりするのがあって、これはこれで厄介……)が放置されて警告のみというのが、もはや私には理解不能です。
選挙ポスターは勝手に剥がせば公職選挙法違反なので、それを逆手に取っている小賢しさは認めざるをえませんが、品がなさすぎますし、一体目的は何なのでしょうか。この行為によって選挙がばかげていると多くの人に思わせ、一石を投じるというならばまだしも、悪意と金儲けの匂いしかしません。枠を買った人たちは、さらにそれらに加えて承認欲求の匂いがして、不愉快極まりないです。
タロットカードの「剣」はあまりよくわからない、現代社会にはなじまないのではないかといった、私の講座の中での反応などを受け、タロットカードのエレメントがこの世からなくなることなどあるのだろうかとずっと考えてきました。ーー正義や公平・公正のために〝切り捨てる(排除する)〟という「男性性」の働きが、「剣」で象徴される働きの一つだと言えます。そして、私の前世・過去世の多くが、スピリチュアル界ではもう手放しましょうとか言われている、法律や裁判、言語による議論等との関わりであったのではないかと感じています。そこで培ったであろう思考や判断とは、お別れするのが正しいのか否かで悩んでいたら、こんなことばかりの世の中です。
なんでも無軌道に許し、受け入れることは、母なる「女性性」が持つ負の側面であり、それを〝断ち切る(排除する)〟のは、父たる「男性性」が行うことであるというのは、大学の時にユング心理学を専門とする先生の教育心理学の講義で教えられたことでした。
私は別に活動家にもなりませんし、ブログでこれ以上の意見を発信するつもりはありません。ただ、「剣」を手にする「正義」のアルカナの「正義」とは、後から習得する概念ではなく、生得的な感覚であるというその導きを私は信じて、物事を判断していきたいと考えています。混乱に巻き込まれるのも、(私のような取るに足らない小者であったとしても)自分が巻き起こすのも御免です。